第5話まとめ(ネタバレあり)
テミスの不確かな法廷第5話は、法の理念と現実の狭間で揺れる裁判所の日常を、静かな熱でえぐり出す。焦点は「書証主義」と「人証主義」。書面で積み上げた事実にどこまで真実性を託すのか。それとも当事者の声にどこまで耳を傾けるのか。本話は、法廷の“正しさ”が時に当事者を追い詰めるという、リーガルドラマの核心に踏み込んだ。
物語を動かすのは、ベトナム人男性グエンと、身元不明の少女。強制執行の現場で執行官が刺傷された事件から、グエンは逮捕。少女は児童相談所へ。しかし逃走を機に、彼女の素性が少しずつ明らかになる。少女の名は春。出生届が出されず戸籍がない——“無戸籍”という社会の影が、裁判所の廊下に差し込む。グエンは監禁犯か、それとも保護者か。捜査と審理は、「正しい手続き」の背後に取り残されてきた生活の現実を照らす。
一方、裁判官たちの内面も描写が濃い。厳格な判断で鳴らす落合は、書面を拠り所に冷徹に見えるが、少女の行動に潜む“沈黙の理由”を見抜き、自ら足を運んで発見に至る。そこには、規範から一歩も外れない人ではなく、「規範の意味」を問い直す司法官の矜持がある。安堂は、遅くとも人の声を聞くことを諦めない“踏みとどまる裁判官”。二人のスタンスの差異が、事件の見立てに揺らぎと奥行きを与えた。
春の過去は残酷だ。祖母の死、母の荒れた生活、学びからも制度からも排除された日々。偶発的な転倒で母が死亡した可能性、罪責と恐怖に押し潰されかけた少女に、グエンは衣食と学びの場を与えていた。つまり「犯人像」と「事実像」は一致しない。ここで本話は、法が人に向き合う際のピント合わせを問う。条文の正しさと、人間の正しさ。その二つはしばしば別物だ。
演出は派手な逆転劇を避け、観察と逡巡を積み上げる。取り調べ室の静けさ、児相の無機質な明かり、押収品のリストが重ねられていくルーチン——いずれも「書証主義」の象徴だが、カメラが人の視線や手の震えに寄る瞬間、「人証主義」の意味が立ち上がる。無言の“証言”を読み取る力。それは職業倫理というより、人間理解の総合力だ。
キャストでは、安堂を演じる松山ケンイチの“遅いが折れない”佇まいが作品の芯。対する落合のストイックさは恒松祐里が端正に体現し、冷厳さの下に宿る共感の温度差を精妙に演じ切る。執行官・津村の帰還場面では市川実日子の現場感が画面を締め、若手書記官・小野崎のまっすぐさは鳴海唯が清冽に担う。制作の屋台骨を支えるのはNHKらしい硬質な美術とドキュメンタリー的間合いで、制度の肌理(きめ)を具体に触れさせる質感が好対照だ。
第5話の主題は、「誰の“正しさ”を優先すると、誰が救われ、誰が取り残されるのか」。無戸籍という社会課題は、審理の外にある“生活の声”を連れてくる。法は均一な手続で人を裁くが、人の人生は均一ではない。だからこそ、証拠に依拠するなら、その証拠がどの生活から生まれたのかを想像し、人の声を聞く時は、その声が沈黙を破るまでの時間と背景を測る必要がある。本話は、この当たり前の困難さを、断定ではなく逡巡として描いた。
【見どころ要約】
“書証主義vs人証主義”という抽象テーマを、無戸籍の少女という具体で接地。
「加害」か「保護」か、グエン像の反転により、手続と人間のズレを可視化。
冷たく見える落合の行動が、実は“人を見るための規範”だったと知れる転位。
【ひと言レビュー】
派手な逆転も痛快な断罪もない。それでも画面の端々まで“人を観る”緊張が満ち、ラストにはかすかな救いの呼吸が宿る。リーガルドラマの醍醐味を、決め台詞ではなく「迷うこと」に置いた第5話は、シリーズ随一の余韻を残した。
※本記事は2026年2月6日(日本時間)時点の放送内容・公開情報をもとに執筆しています。主要あらすじの骨子は各話レビュー(navicon・個人ブログ等)を参照。詳細は該当話の公式放送や番組情報をご確認ください。


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